緑が丘・黒石野商工業会 主催「平成22年度 地域活性化事業」

平成22年度 第二回 (通算19回)「あきんど塾」報告
上田〜高松〜緑が丘・黒石野地区の歴史について
[はじめに]/高松神社山祇神社上田の一里塚高松の池


[はじめに]

 北上川は盛岡地域を、ほぼ北から南に貫流しています。途中には、四十四ダムがあったり、直角に近いカーブ(三馬橋上流)や中州(蛇の島)や小爆(手掛の松)もいくつかあります。
 そして、この北上川の西側は概して高台になっており、東側には、河岸段丘が形成されており、北上川がこの地域では東側から西側に移動していった事が知られます。

 この北上川の東側の河岸段丘と、それに続く丘陵地帯の広い地域が昔は「上田村」の範疇であり「上田」と呼ばれて来ました。従って、いわゆる「上田」も高松も緑が丘・黒石野も大字では「上田」に包含されています。

*明治12年(1876年)に出された「岩手県管轄地誌」(資料1)による「旧村名」と「旧字名」によると、「上田村」がいかに大きいか分かります。
 今回、お話をひきうけるに当たり「黒石野・緑が丘地区の歴史」ではなく、広い意味での「上田の歴史」でよいとの承諾が得られましたので、この地域に住んでもいない人間ですが、お話をする事を引き受けました。



当日、会場での写真を撮り忘れました。この写真は2007年5月27日高松商店会主催「高松神社を語る」での鈴木孝男講師です。



(報告と写真 anbe )


ご意見・お問い合わせ