緑が丘・黒石野商工業会 主催「平成22年度 地域活性化事業」 平成22年度 第二回 (通算19回)「あきんど塾」報告 上田〜高松〜緑が丘・黒石野地区の歴史について |
@ さて「高松神社記」によれば、「庚申(こうじん)社」は、寛永2年(1630年)時の豪商寺町(花屋町)の三郎兵衛・三太夫の二人によって発願され、有志崇敬者が建立した「社(やしろ)」とされています。 祭神は「猿田彦之命(さるたひこのみこと)」を奉斎し、古くから「お庚申さん」と呼ばれて来ており、「庚申」信仰の社です。「猿田彦之命」は、「さる」の名称の付くことから「庚申(かのえさる)」との関連が深く、また「道の守神=道祖神」としても、記紀以来知られています。 A また、境内に二つの「庚申供養塔」が残されています。 「庚申供養塔」の一つは、明和元年(1764年)建立の銘があり、県内の庚中碑の中でも古いものに属すると共に、「猿と鶏」の絵が刻まれている珍しいものです。この「庚申供養塔」の寄進者として、黒石野村の「三九郎・金之丞・喜八・三之丞・甚之丞・久兵衛・三吉・与平治」の8名が刻まれています、七月十七日は、昔の例大祭の期日です、「ご庚申さん」と黒石野の人々とは、古くからの関かわりがあった事が知られます。(資料2) ちなみにもう一つは、文政四年(1821年)建立のもので、凡字(青面金剛)と「庚申」の文字が大きく刻まれており、寄進者は三戸丁の「源助」他6名の名が刻まれています。高松神社の崇敬者が、かっては上田全域に及んでいた事が知られます。 B 「お庚申さん」は、本来土俗神であり、神仏混合的な性格の神ですが、明治に入り「神仏分離令」の施行に伴い、神格が強調され「高松神社」と命名されました。小高い松林に囲まれた社から「高松」の名が冠されたものと思われます。従って「高松」の地名は、明治以降の新しいものです。現在の「高松第一町内会」の大部分の字名は、「庚申長根・庚申窪・毛無森・古道」でした。
(報告と写真 anbe ) |