緑が丘・黒石野商工業会 主催「平成22年度 地域活性化事業」

平成22年度 第二回 (通算19回)「あきんど塾」報告
上田〜高松〜緑が丘・黒石野地区の歴史について
[はじめに]高松神社山祇神社上田の一里塚/高松の池


4 高松の池(上田の堤)=歴史的構造物

@ 「上田の堤」は、上田の歴史を語る上で、最も重要な「歴史的な構造物」と言えます。

 「上田の堤」は寛文年間(1661年〜1673年)に、上田地域の治水を目的として構築されました。構築当初は脆弱で、2度(1670年・1673年)も崩壊した記録が残されています。
 この「上田の堤」が出来て、上田畷道が作られ、さらに「上田桝形」が設置され「同心」も配置されて「上田組丁」となって行きます。構築されて暫くは、藩主の「御鳥溜め池」として保護され、庶民の立入りが禁止されていました。
 江戸末期嘉永年間(1852年)に、底樋(そこひ)=水門が作られ堤の水を濯漑用に利用するようになり、上田の水田化が進められました。

A 「高松の池」の呼称は、大正時代以降の新しいものです。
 「高松の池」は、現在「日本さくら名所百選」に選ばれ、桜の名所として広く知られています。その端緒となったのは、明治39年(1906年)「日露戦争戦勝記念事業」として、上田地域有志の発案により桜千本が植えられ、その桜を地域の人々が長い間に渡って護り育てて来た事にあります。特に、当時の盛岡市長北田親氏が「高松の池」の公園化に努力した人として知られています。「高松の池」の入口に「名勝高松の池」大正12年(1923年)の石碑があり、さらに昭和24年(1949年)になって、「市立高松公園」に指定されました。

 「高松の池」は、現在桜の名所・絶好の散策地として四季折々、地域の人はもとより、多くの市民に親しまれていますが、かっては「スケートのメッカ」であった事を知る人も少なくなっています。
 昭和6年(1931年)に「全国中学校氷上大会」が開かれており、戦後の昭和23年(1948年)には、「第3回冬期国体スケート大会」が開催された歴史があります。また戦前には、海軍記念日(5月27日)に「ボートレース」が行われた事もありました。
 さらに「横川省三像の台座」「桜地蔵尊」等の史跡や文学碑・記念碑が数多くあり、それらを探索するする事も楽しみであります。




(報告と写真 anbe )

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