緑が丘・黒石野商工業会 主催「平成22年度 地域活性化事業」

平成22年度 第二回 (通算19回)「あきんど塾」報告
上田〜高松〜緑が丘・黒石野地区の歴史について
[はじめに]高松神社/山祇神社/上田の一里塚高松の池


2 黒石野の「山の神さん」=「山祇(やまずみ)神社」

@ 黒石野の「山の神さん」は、伝承によれば五百年位前からこの地にあったとされています。この事は、盛岡城築城以前から、すでに「山の神さん」があり、そこに人々が住む小集落があった事が知られます。黒石野は地形的に見て山間の台地であり、大きな集落にはなり難い所です。

 盛岡城築城以前にも、平安時代末期にはすでに盛岡の地には「仁王郷」や「上田城」があった事が記録に残っています。
 その当時、今の「上田」の地帯は、北東の台地から流れて来る水が溜まる大沼沢地でした。従って盛岡の南から北に通ずる道路は、大沼沢地を避け「北山」の山裾(今の寺院群前)を通り、法泉寺辺りで山を越え、今の「高松の池」の東側に出て、山地の中腹を抜けて今の「松内商店」付近に出て、さらに斜め横切って「黒石野」で、北に通ずる道路に繋がっていました。
 こうした事実から、「黒石野」が今の「上田」よりずっと古くから、集落を形成していたと言えます。

A 黒石野の「山の神さん」=「山祇神社」は、「大山祇(おおやまずみ)の神」を祭神としており、「地神(じがみ)」である事が知られます。
 「ご本体は、鉞(まさかり)と縄をもった木像」であると言われており、山の木を切り出す鉞とそれを運び出す縄を持つ木像である事は、興味深く、古く黒石野の人々の生活が森林を中心にしていた事が伺われます。九月十二日が例祭日とされ、その日には「黒石野神楽」が奉納されました。「黒石野神楽」は、早池峰山の岳神楽の系統である事を古く古老が語っています。また、今も残る「神楽面」は、古い様式の物と伝え聞いています。

 *その「黒石野神楽」は、昭和40年代まで「高松神社」の例大祭にも奉納されていました。後継者がなくなり、伝統の神楽が見られないのは寂しい事です。「高松神社」には、今は同じ系統の「岳神楽=赤沢神楽」が奉納されています。


〈資料〉漆戸茂樹『北奥路程記』から
 路程図と簡単な地誌にいて述べており、
 当時のムラの戸数や四方の眺望が記されており、神社や寺の存在も書き出されている。




〈資料〉黒石野神楽の「神楽面」
 現在も黒石野公民館に保存されている
 他の衣装や小道具も残っているが、使える人がいなくなった。


〈資料〉山祇神社 例大祭の様子
2007年9月11日 撮影 村上 


(報告と写真 anbe )

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