緑が丘・黒石野商工業会 主催「平成22年度 地域活性化事業」

平成22年度 第二回 (通算19回)「あきんど塾」報告
上田〜高松〜緑が丘・黒石野地区の歴史について
[はじめに]高松神社山祇神社/上田の一里塚/高松の池


3 「上田の一里塚」

@ 盛岡城が出来上がるまでには、三十年以上の年月を要していますが、御城が完成し町並みが整えれた寛永年間に、城下の鍛冶丁に里程の元標が設けられ、領内の里程はここを基準にしました。南の一里の場所に「川久保の一里塚」、北の一里の場所に当たる蝦夷塚に「上田の一里塚」が作られました。「上田の一里塚」は、「上田の畷道」が完成してから出来たと思われますので、少し時代が後になります。元は道路の両側に一対の塚が築かれていました。「上田の一里塚」の更に北の一里の場所に「小野松の一里塚」があり、対の塚が残されています。
 町中に近い「上田の一里塚」が、片方であれ残されたのは幸運があっての事です。

A 「上田の一里塚」が奇跡的残されたのは、昭和11年(1936年)に、「盛岡ドミニカン修道院」(聖ドミニコ女子観想修道院)が、蝦夷森の地に建設され、一里塚が修道院内に囲み込まれ事にあります。そのため道路の東側が拡張され、西側の塚だけが残される幸運に恵まれました。残念な事に、昔からあった松の木が枯れてしまいましたが、地元の皆さんの熱意で若い松が植えられ、一里塚が大切に守られている事は嬉しい事です。


「あの角を曲がれば」より
昭和40年3月24日 井山治男氏 撮影



(報告と写真 anbe )

ご意見・お問い合わせ